脱SAPが2027年問題の最適解にならない理由
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はじめに
2027年問題を目前に控え、脱SAPを目指す企業が微増しているようです。
確かに「SAPはよくできているが高い」といった論調は20年近く前からありました。
2027年のEOSを目前に控え、日本企業がSAP ERPから他のパッケージへ移行するのも無理はないと思います。
しかし、現実問題としてSAPから脱することが本当に解決になるのでしょうか。
今回は、「脱SAP」を現実的な視点から考えてみたいと思います。
1.進む「脱SAP」の流れ
2020年代にはいり、「2025年の崖」という言葉がトレンドワードになりました。
レガシーシステムによるビジネス革新の遅れが、企業に損害をもたらすという文脈で広まりましたね。
この2025年はSAP ERPのECC6.0のEOSからきているわけですが、最近この2025年が2027年に延長されました。
しかし、基幹システムの更新は年単位のプロジェクトになりますから、たった2年延びたところで楽観視はできません。
大半の企業は、タイトなスケジュールの中、S/4 HANAへの移行やパッケージそのものの入れ替えに勤しんでいます。
一方、ここにきて「これを機会に、そもそもSAPを辞めてしまおう」という流れも見られるようになりました。
例えば、建設業に属する企業A社。
A社は基幹システム向けのパッケージをSAP ERPから、建設業界向けの国産パッケージに変更することを決定したそうです。
それまでは、R/3を使用しており、FI・CO、SD、PSを運用していたのだとか。
会計・販売・プロジェクト管理と基幹業務のかなりの範囲をSAP ERPに依存していたにも関わらず、なぜ「脱SAP」に踏み切ったのでしょうか。
その背景には、保守費用が高額なことや、SAP本体の問い合わせ対応への不満があったようです。
保守費用はケースバイケースなのですが、SAP本体の問い合わせ対応は確かに不満を感じることがあります。
例えば標準機能とアドオン機能の境界線で不具合が起こると、SAP本体のサポートは「標準機能のみで使用している場合だけ、サポート対象」といった回答を返してくることがありました。
もちろん、全てがこの限りではないのですが、日本では標準機能をそのまま使用しているケースが少ないので、結局は開発者が標準機能までデバッグするハメになるなど、サポートが機能していないことがあったのです。
こうした「日本特有」の事情が、脱SAPのきっかけになっている企業は決して少なくありません。
そもそも基幹業務は国や地域の商慣習が反映されるものですし、グローバル化が進んだ後も日本独自のビジネスプロセスは色濃く残っています。
そのため、サポートにも話が通りやすくいざとなればすぐに駆け付けてくれる国産パッケージに鞍替えするのも無理はないのです。
2.脱SAPは現実的に可能か?他ベンダーの状況
しかしここで大きな問題が立ちはだかります。
それは「現実的にSAP ERPから脱することは可能か」という点です。
そもそも日本企業の中で、SAP ERPを導入しているのは社歴が長い企業ばかりです。
90年代から2000年代初頭において巻き起こったERPブームに乗り、SAPをビッグバン導入した企業が数多く存在します。
こうした企業では、SAP以前のレガシーシステム時代から受け継がれてきた社内の業務プロセスをシステムに落とし込んでいて、長い時間をかけて「熟成」させています。
法改正への対応や組織改編による業務プロセスの変化をシステムとして具現化しているので、SAP ERPが「ノウハウの結晶」になっているのです。
日本においてアドオン開発が一般化したのは、このノウハウの結晶をいかに保存するか、という視点が重視されたからでしょう。
ABAPで作られたアドオン機能の多くは標準機能を密接に結びついており、SAP ERPの仕様に最適化されています。
こうした状況で、完全にSAPから脱することは可能なのでしょうか。
2-1.脱SAPの最有力候補Oracle
実は「脱SAP」の機運を商機とみなし、競合他社が活発に動いています。
その好例がオラクルです。
オラクルは長年SAPと競ってきた企業ですが、ここへきて「Oracle Cloud ERP」を中心に、CM(サプライチェーン管理)やHCM(人材資源管理)といった業務アプリケーションも含めたSaaS製品群「Oracle Fusion Applications」を展開しています。
Oracle Fusion Applicationsはクラウドネイティブを前提として作り直されており、クラウド移行を契機に脱SAPを狙う企業へのアプローチ材料としてアピールされています。
ERP業界が長い方ならご存じだと思いますが、オラクルのERPといえば「EBS」が有名でしたよね。
Fusion Applicationsはそもそも、このEBSに買収した他社(ピープルソフトなど)の製品を組み合わせたもの。
つまり、SAPに対抗するために複数のERPパッケージを合体させた製品群、とも言えるわけです。
この多機能なERPパッケージは、SaaS版のみが提供されるので、オンプレミスやプライべートクラウド版のように「セキュリティアップデート」や「バージョンアップ」を自社で行うことはありません。
こうした手間の削減をメリットとして打ち出しているようです。
2-2.国産組も攻勢をかける
脱SAPの商機を狙っているのは海外勢だけではありません。
NTTデータ・ビズインテグラルではERPパッケージ「Biz∫(ビズインテグラル)」を提供し、EOSによる脱SAPの勢力を取り込もうとしています。
同社の発表によれば、1年間に請け負う案件の約2割がSAP製品からの乗り換えなのだとか。
こうした国内勢の動きに共通していることは「コンポーザブル化」が進んでいる点です。
コンポーザブルERPは、モジュールをAPI経由で連係させることを前提としており、必要に応じて自由に組み合わせられます。
APIを前提としていることから、他社のアプリケーションやサービスとの結合も容易です。
「SAP製品のみでシステムを組む」という硬直的な考え方から脱し、ベンダーロックインのリスクを低減できる仕組みとして注目されています。
2-3.脱SAPは十分に可能な状況
こうした国内外の勢力の動きを見ていくと、「脱SAP」は決して達成不可能なものではないと考えられます。
そもそもSAPは巨大になりすぎていて、他社から研究されつくされた側面があります。
また、ライバル企業たちは、ユーザーがSAPに抱く不満を十分に理解しており、そのニーズを自社製品に色濃く反映しています。
たとえ長年のノウハウが結晶化されてSAP ERPに蓄積されていようとも、粘り強く移行作業を進めて吸収してしまいそうな勢いです。
そもそもコンポーザブルERPは、サイロ化したシステムの再構築に適しています。
ノウハウが詰め込まれたモノシリック型システムを、柔軟に機能を組み合わせることによって短期間で再現できるからです。
なので、どちらかといえば国産パッケージのほうがSAPの「強敵」になるのかもしれません。
3.問題はSAPではなく「アドオン移行のコスト」かもしれない
こう考えると、脱SAPの根っこにあるのは高額な保守費用でもサポートの質でもなく「アドオンの移行コスト」なのかもしれません。
そもそもなぜ多くの企業がSAP ERPを使い続けたかというと、別パッケージへの移行が困難になっていたからです。
その理由は前述したように「ノウハウの結晶」がモノシリック型のSAP ERPと結びついていたから。
ECC6.0までのSAP ERPはモジュール同士が密結合しており、アドオンプログラムもそれにならって配置されていました。
したがって、アドオンプログラム同士を「標準機能ごと」独立させ、必要に応じて疎結合させるという使い方ができなかったのです。
必然的にアドオンの移行コストは高額になり、相対的に安く安全に移行できるSAPを選んでいる状態でした。
しかし、この点は競合他社の攻勢によって解決されつつあります。
3-1.それでもSAP ERPは優位である
しかし、ここまで「脱SAP」の条件が揃っていても、SAPの優位性は揺るがないと思います。
その理由は「人材の豊富さ」が他のパッケージ製品とは段違いだからです。
2027年問題を解決するためには、パッケージの機能は当然として、それを導入・運用する人材の力が不可欠です。
長年ERP業界でナンバー1の地位を守ってきたSAP界隈には、標準・アドオンを深く理解した人材が大勢います。
また、さまざまな業界・業態のプロジェクトを経験しており、ビジネスへの造詣が深い人材が多いことも特徴です。
例えば国産パッケージは開発元に人材がいても、フリーランスの優秀な人材がいることは稀です。
したがって、フリーランス市場から人材を調達することができません。
この点においてSAPは他のパッケージの追随を許さないほど強いのです。
パッケージの劣勢を人材の豊富さ・優秀さで補うという、なんとも皮肉な状況です。
時間との勝負でもあるシステムリプレイスでは、特定の時期に人材を集中させることが不可欠である以上、SAPの優位性は揺るがないでしょう。
まとめ
今回は、「脱SAP」をめぐる動きについて解説しました。
SAP ERPはすでに「あらゆる意味でナンバー1」とは言えない存在になっています。
とはいえ、長い歴史と膨大なプロジェクトが他の追随を許さない人材市場を形成し、それ自体が強みになっていることは確かです。
もしSAP以外の製品を選択する場合には、「そのパッケージに関する知見を持つ人間を、どれだけ調達できるか」という観点も忘れないようにしたいところですね。