SAP ERP導入が難航する理由
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はじめに
SAP ERP業界で働き始めた2000年代中盤、あるプロジェクトでプロジェクトマネージャーから「SAP ERP導入の成功率は3割」というお話を聞いたことがあります。現在はもっと成功率が高いようですが、当時は「これだけお金と人を投入して入念に準備して3割か……」と驚いたものです。
現在でも、SAP ERP導入をスムーズに完了させるのは並大抵のことではないと思います。ではなぜパッケージ製品であるSAP ERPの導入が難しいのでしょうか。今回はその理由をまとめてみました。
1.圧倒的な製品知識の不足
SAP ERP導入が難航する理由の一つ目は、「業務部門にSAPの知識を持つ人材がいない(不足している)」という点です。
SAP ERPは、グローバル企業であるSAPが長い時間をかけて経営のベストプラクティスを集約したパッケージ製品。それだけに網羅性が高いのですが、機能があまりにも多く、完全に使いこなすためには膨大な学習と実践が必要です。SAP ERP業界で長く働いているコンサルタント/エンジニアでさえ、公式のHelpやOSS noteなどで常に勉強を重ねながら知識を拡充していますよね。これだけ巨大なパッケージを、導入先である事業会社の担当者が完全に理解するのは、不可能に近いのです。したがって、導入先の企業ではSAPに関する製品知識が不足しているのが常です。
製品知識が不足していると、ベンダーとのコミュニケーションや要件定義のチェックで齟齬が発生します。例えば、「標準の購買発注の画面にアドオンの発注画面を被せて開発する」という要件がある場合、導入先の担当者は「標準機能の購買発注で何ができるか」を理解する必要があります。トランザクションコードを叩けば購買発注の画面自体は確認できるでしょう。しかし、どの項目がどのテーブルに書き込まれ、内部的にどのような処理をしているかまでしっかり理解している担当者は少ないものです。
また、標準機能のカスタマイズやExitによるチューニング、BAPIの実装といった技術的な知識を持つ担当者は極めて稀であり、この点もベンダーとのコミュニケーションを難航させる要因になります。
少し穿った見方をして「受注側が知識面で上を行くならば、提案が通りやすくラッキーな案件なのでは?」と考える方もいるかもしれません。確かに営業的にはその通りなのですが、実際の導入プロジェクトでは、コミュニケーションコストが嵩むうえに、要件変更や不具合の発生といったリスクを孕んでしまいます。
したがって、SAP ERPの導入プロジェクトでは「クライアント企業の担当者が、SAPをどこまで理解しているか」を早々に見極めて、対応方法を練っていかなくてはなりません。
もっとも、近年はSAP ERPのノウハウがネット上に公開されているので、以前に比べると誰もが知識を得やすい時代になっています。2000年代~2010年代前半までのように、アカデミーとSAP help以外に知識を獲得できる場所が無い!という時代ではありませんので、この点は徐々に緩和されていくのかもしれないですね。
2.アドオンへのシワ寄せが常態化
2つ目の理由として「日本国内ではアドオン開発を多用しすぎる」という点が挙げられます。SAP ERPは世界各国の経営のベストプラクティスを集約した製品と言われていますが、実際のところは日本の商慣習にフィットしていませんでした。実際に、2000年代までは、外資系企業への導入と日本企業への導入とでは、標準機能の割合に大きな差があったものです。
外資系企業は、販売・発注・会計の機能をほぼ標準のまま使っていた企業が存在しましたが、日本企業では、ほとんど見たことがありません。日本企業がSAP ERPを活用する場合は「標準機能で実装できないものはアドオンでカバー」が常識であり、SAP ERP導入といえばアドオン開発プロジェクトと同義だったのです。
ABAPによるアドオン開発は、確かに日本企業の要求をしっかりと満たしてくれます。しかし、アドオンの割合が大きすぎると、標準機能との衝突や重複が多発し、不具合の遠因になることも珍しくありません。
こうした過去の失敗を加味した上なのか、SAP S/4 HANAが主流になってから「Fit to Standard(標準機能にできるだけ合わせる)」という風潮が強まっています。「製品に業務を合わせる」という考え方は、海外ではごく普通に取り入れられてきました。今後は日本でも過剰な造りこみ(=アドオン開発の多用)は減っていくのかもしれません。
しかし、レガシー、つまりECC6.0までのアドオン部分を「資産」とみなす企業が多い以上は、アドオン部分の移行を行わざるを得ません。この点は、今後のSAP ERP業界の課題になるのではないでしょうか。
3.「現場が回らない」を覆せない
SAP ERP導入を難航させる理由の3つ目は「現場至上主義が強すぎる」という点です。本来、SAP ERPの導入はBPR(ビジネスプロセス改革、再設計)とセットで行われるもの。前述の「Fit to Standard」と共通するのですが、業務側とシステム側が歩み寄ってこそ優れた基幹システムが完成します。
しかし、日本企業は伝統的に「業務にシステムを合わせる」という意識が強く、少しでも現行の業務に影響が出る仕様は、NGとされる傾向がありました。つまり、BPRを進めない状態でシステムだけを変えようとするために、開発プロジェクトの負荷が高くなっていったのです。その結果が、年単位にまで肥大化するプロジェクトであり、アドオン開発の多用であったと考えられます。
近年は、DXが日本企業に共通した課題として認識されており、業務プロセスの維持にこだわらない企業も増えています。以前に比べるとクライアント企業の担当者もかなり柔軟になっているようですので、BPRとSAP ERPのセット導入は進めやすくなっているかもしれません。
4.ビッグバンアプローチ
4つ目の理由は、「ビッグバンアプローチ」です。ビッグバンアプローチとは、IT製品導入の方法論のひとつで、「すべての業務領域に対し、一括でIT製品を導入する」ことを意味します。日本国内では、90年代初頭からSAP ERP導入が本格化しましたが、その大半がビッグバンアプローチによる導入だと言われています。ビッグバンアプローチは、「改革」「刷新」が見た目にも分かりやすく、成功すれば非常に大きな効果をもたらす方式です。業務効率化やBPRの様子が数字に表れやすく、「経営基盤が強化されたこと」を対外的にアプローチしやすいのです。一方で、企業内の各業務部門に対して大きな負荷をかけることや、一括導入ゆえに発生する細部の不整合、プロジェクトの肥大化といった問題もありました。ビッグバンアプローチによるSAP ERP導入の成功率は決して高くなく、その多くは課題を積み上げながら何年もかけて「あるべき姿」を近づいては遠のき……を繰り返していたのが実情です。
近年は、ビッグバンアプローチの失敗経験が共有されるようになり、モジュール単位での部分導入が見直されています。部分導入はビッグバンアプローチに比べると効果が見えにくいのですが、失敗のリスクが極めて小さく、段階的に成功を積み上げられるというメリットがあります。また、クラウド化によって部分導入でも高速化・低コスト化の恩恵を受けやすくなっているため、今後は部分導入が主流になる可能性もあります。
5.内製化の第一歩としてフリーランス活用を
こうした問題は、ほとんどが組織内外の調整や外注ベンダーとのコミュニケーションに起因するものです。したがって、「内製化の推進、強化」で解決できるかもしれません。内製を可能にするだけの人材とノウハウを確保し、体制を構築できれば、SAP ERPの導入はよりスムーズになるでしょう。また、中長期で見ればコスト面で外注よりも有利であることは珍しくありません。
しかしIT部門自体が存在しない、もしくは存在していてもSAP人材を確保できていないという企業は非常に多いようです。もしSAP ERP導入を一部でも内製化したいのであれば、まずはフリーランス人材を一時的に確保し、ノウハウの蓄積から始めていくべきかもしれません。フリーランス側も、事業会社での経験を積めるためにWin-Winの関係を構築しやすいでしょう。